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伏見名水スタンプラリー 藤森(ふじのもり)神社編 その1

京都市伏見区で「伏見名水スタンプラリー」が実施され、藤森神社へ行ってきました。

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酒蔵も多くあり、歴史や文化を育んだ名水の地として知られる伏見のまちの10か所の名水をめぐるスタンプラリーです。2023年5/31まで行われています。

スタンプラリー1か所目の藤森神社です。
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社伝によると、203年に三韓征伐(新羅征伐)から凱旋した神功(じんぐう)皇后(仲哀(ちゅうあい)天皇(第14代天皇)の后)が、纛旗(とうき、いくさ旗)を立て、兵具を納め塚を作り祭祀を行ったのが始まりで、その後、近隣の3社が合祀され現在の藤森神社になったとされています。

正門(南門)の石鳥居です。
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1711年の銘が刻まれています。後水尾(ごみずお)天皇(第104代天皇)宸筆(しんぴつ、天皇の直筆)の扁額があり、参勤交代の際には大名は駕籠からおりて拝礼をしてから通行していましたが、幕末の動乱の際に悠長なことはできないとして、新選組の近藤勇が外したと伝えられています。

鳥居からの参道の様子です。
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人と馬が通る道と車道が分けられています。毎年5/5に藤森祭があり、この参道で駆馬神事(かけうましんじ)が行われます。乗り手は馬を駆りながら、さまざまな技を披露します。

参道の途中、左手にある焼塩屋権兵衛の碑です。
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1779年に奉行となった小堀政方の悪政に対して焼塩屋権兵衛(やきしおやごんべえ)ら7人が命がけの直訴を行い、奉行を罷免させますが、焼塩屋権兵衛らは、再三による尋問を受け相次いで獄中で病死したと記されています。

さらに参道を進むと、左手に蒙古塚があります。
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781年に蒙古が日本へ攻めてきますが、早良(さわら)親王(光仁(こうにん)天皇(第49代天皇)の皇子)率いる軍勢が退け、討ち取った将兵の戦利品や兵器を埋めたと伝えられています。

蒙古塚から参道を進むと左手にある絵馬舎です。
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絵馬舎から参道を進むと左手に手水舎があります。
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手水鉢です。
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手水鉢の台石は、石川五右衛門が京都府宇治市にある浮島十三重石塔の上から5番目の石を持ってきたものと伝えられています。

手水舎の近くにある神馬像です。
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その2に続きます。


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