本山寺(ほんざんじ) その1
大阪府高槻市の本山寺へ、行ってきました。

役小角(えんのおづぬ=役行者)が毘沙門天像を彫り修験の道場として開山したのが始まりで、宝亀(ほうき)年間(770~781年)に光仁(こうにん)天皇(第49代天皇)の子・開成(かいじょう)皇子が創建したと伝えられています。写真は一の鳥居です。
一の鳥居から林道を登り続けます。

約2キロ(徒歩約50分)進んだ場所にある地蔵石仏です。近くには、あと「八丁」(約880m、1丁=約109m)の石標もあります。
あと「五丁」(約550m)の石標。

坂がさらに厳しく・・。
さらに進むと左手にある石碑です。

「〇櫓塚」と刻まれていますが、詳細は未確認です・・。
石碑から少し進むと「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と刻まれた石碑があります。

あと、「二丁」(約220m)・・。

少し坂がゆるやかに!
残り「一丁」の石標と勧請掛(かんじょうがけ)です。

寺(山)を守護する天神地神の来光を乞うもので12筋の樒(しきみ)掛けています。毎年12/25頃に掛け替えられます。
勧請掛から参道を進むと左手にある五重石塔です。

五重石塔から進むと右手に三社権現社があります。

三社権現社です。

その2に続きます。


役小角(えんのおづぬ=役行者)が毘沙門天像を彫り修験の道場として開山したのが始まりで、宝亀(ほうき)年間(770~781年)に光仁(こうにん)天皇(第49代天皇)の子・開成(かいじょう)皇子が創建したと伝えられています。写真は一の鳥居です。
一の鳥居から林道を登り続けます。

約2キロ(徒歩約50分)進んだ場所にある地蔵石仏です。近くには、あと「八丁」(約880m、1丁=約109m)の石標もあります。
あと「五丁」(約550m)の石標。

坂がさらに厳しく・・。
さらに進むと左手にある石碑です。

「〇櫓塚」と刻まれていますが、詳細は未確認です・・。
石碑から少し進むと「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と刻まれた石碑があります。

あと、「二丁」(約220m)・・。

少し坂がゆるやかに!
残り「一丁」の石標と勧請掛(かんじょうがけ)です。

寺(山)を守護する天神地神の来光を乞うもので12筋の樒(しきみ)掛けています。毎年12/25頃に掛け替えられます。
勧請掛から参道を進むと左手にある五重石塔です。

五重石塔から進むと右手に三社権現社があります。

三社権現社です。

その2に続きます。

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