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鵲森宮(かささぎもりのみや)

大阪市中央区の鵲森宮へ、行ってきました。

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587年の丁未の乱(ていびのらん、仏教を巡って対立した蘇我馬子氏と物部守屋の戦い)で戦勝を祈願し、勝利すると四天王像をまつると誓った聖徳太子が、勝利後の589年にまず両親を鎮守としてまつり、四天王寺を創建したと伝えられています。四天王寺は593年に移転(大阪市天王寺区)したことから元四天王寺ともいわれています。森之宮神社ともよばれています。

境内にあった昔の写真です。
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境内の横には天野川が流れ、鵲橋(かささぎばし)が架かっています。鵲はカラス科の鳥で、聖徳太子の命で新羅に渡った吉士磐金(きしいわかね)が598年に帰国し、献上した鵲を飼育したことから鵲の森とよばれ、後に社名となったようです。

石段を上がって鳥居を入ると左手にある手水舎です。
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鳥居を入って進むと右手に拝殿があります。
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主祭神は、用明天皇(聖徳太子の父)、穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ、聖徳太子の母)と聖徳太子です。

鳥居を入って正面にある五幸(ごこう)稲荷社です。
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由緒には、「火難・水難・盗難飢餓・産難を除く、宇賀御霊命(うかのみたま)を祀る日本唯一の稲荷社です」と記されていて、伏見稲荷大社(京都市伏見区)の宇迦之御魂神(うかのみたま)の分霊ではないようです。(未確認)

五幸稲荷神社に向かって右手奥にある亀井(かめのい)です。
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境内に湧いた霊泉に聖徳太子が命名したといわれています。

拝殿に向かって左手にある大伴家持(おおとものやかもち)歌碑です。
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「鵲の 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」(百人一首 中納言家持)

境内西側の鳥居です。
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<鵲森宮(かささぎもりのみや=森之宮(もりのみや)神社)>大阪市中央区森之宮中央1-14-4
大阪メトロ森ノ宮駅7-A出口すぐ、JR森ノ宮駅から徒歩約1分


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