西勝寺(さいしょうじ)
三重県四日市市の西勝寺へ、行ってきました。

浄土真宗の僧・蓮如(れんにょ)によって出家得度した教尊(きょうそん)が創建した福泉寺(ふくせんじ、四日市市)が始まりで、1604年に現在地に念仏道場が建築され、1605年に西勝寺になったと伝えられています。浄土真宗本願寺派の寺院です。
門前を流れる智積養水(ちしゃくようすい)です。

名水百選の1つで、人々の生活に密着した水だったため「用水」ではなく、人々を養う水として「養水」とよばれています。
山門付近から見た境内の様子です。

山門から進むと左手にある鐘楼です。

参道正面にある本堂です。

本尊は、阿弥陀如来像です。
本堂の手前、参道右手にある引石(ひきいし)です。

地区の中央を流れる矢合川(やごうがわ、生水川(しょうずがわ)ともよばれる)に架かる生水橋の両岸に石柱が建てて縄が張られ、増水の際には通行人が手すりにして橋を渡ったことから引石とよばれています。石の裏に刻まれている「南無阿弥陀仏」を唱えながら命がけで橋を渡ったと伝えられています。1921年に新しい橋が架けられ、後に境内に移されています。
本堂に向かって左手奥にある樹木です。

本能に向かって右手にある庫裏・寺務所です。

<西勝寺(さいしょうじ)>三重県四日市市智積町693
近鉄桜駅南口から徒歩約6分


浄土真宗の僧・蓮如(れんにょ)によって出家得度した教尊(きょうそん)が創建した福泉寺(ふくせんじ、四日市市)が始まりで、1604年に現在地に念仏道場が建築され、1605年に西勝寺になったと伝えられています。浄土真宗本願寺派の寺院です。
門前を流れる智積養水(ちしゃくようすい)です。

名水百選の1つで、人々の生活に密着した水だったため「用水」ではなく、人々を養う水として「養水」とよばれています。
山門付近から見た境内の様子です。

山門から進むと左手にある鐘楼です。

参道正面にある本堂です。

本尊は、阿弥陀如来像です。
本堂の手前、参道右手にある引石(ひきいし)です。

地区の中央を流れる矢合川(やごうがわ、生水川(しょうずがわ)ともよばれる)に架かる生水橋の両岸に石柱が建てて縄が張られ、増水の際には通行人が手すりにして橋を渡ったことから引石とよばれています。石の裏に刻まれている「南無阿弥陀仏」を唱えながら命がけで橋を渡ったと伝えられています。1921年に新しい橋が架けられ、後に境内に移されています。
本堂に向かって左手奥にある樹木です。

本能に向かって右手にある庫裏・寺務所です。

<西勝寺(さいしょうじ)>三重県四日市市智積町693
近鉄桜駅南口から徒歩約6分

椿岸(つばききし)神社 後編
三重県四日市市の椿岸神社の続きです。

拝殿に向かって右手に椿岸稲荷神社があります。1532年にこの地に移り住んだ公家で中納言の松木宗藤(まつのきむねふじ)の娘・加賀姫が伏見稲荷神社(京都市伏見区)から分祀して創建したと伝えられています。後に幸田神社となりますが、1909年に椿岸神社に合祀、1960年に椿岸稲荷神社として再建・遷座しています。
椿岸稲荷神社です。

椿岸稲荷神社の近くにある皇居遥拝所です。

拝殿の手前、参道左手に忠魂殿への鳥居があります。

忠魂殿です。

忠魂殿内部の様子です。

忠魂殿に向かって左隣に地蔵堂があります。

地蔵堂です。

拝殿に向かって左隣にある社務所です。

<椿岸神社(つばききしじんじゃ)>三重県四日市市智積684
椿岸神社 公式ページ
近鉄桜駅南口から徒歩約8分


拝殿に向かって右手に椿岸稲荷神社があります。1532年にこの地に移り住んだ公家で中納言の松木宗藤(まつのきむねふじ)の娘・加賀姫が伏見稲荷神社(京都市伏見区)から分祀して創建したと伝えられています。後に幸田神社となりますが、1909年に椿岸神社に合祀、1960年に椿岸稲荷神社として再建・遷座しています。
椿岸稲荷神社です。

椿岸稲荷神社の近くにある皇居遥拝所です。

拝殿の手前、参道左手に忠魂殿への鳥居があります。

忠魂殿です。

忠魂殿内部の様子です。

忠魂殿に向かって左隣に地蔵堂があります。

地蔵堂です。

拝殿に向かって左隣にある社務所です。

<椿岸神社(つばききしじんじゃ)>三重県四日市市智積684
椿岸神社 公式ページ
近鉄桜駅南口から徒歩約8分

椿岸(つばききし)神社 前編
三重県四日市市の椿岸神社へ、行ってきました。

創建の詳細は不明ですが、927年にまとめられた延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載がある古社です。1529年に兵火により焼失しますが、1560年に近隣の氏子により新たに天照大神(あまてらすおおかみ)・八幡大神(はちまんおおかみ)を勧請して現在地に再建したと伝えられています。
鳥居から進むと参道右手に手水舎があります。

参道正面にある拝殿です。

2009年再建です。
拝殿の扁額です。

拝殿脇には、奉納された菰樽が置かれています。

近隣にある酒蔵の酒です。「噴井(ふきい)」(四日市市石川酒造)、「鈿女(うづめ)」(四日市市伊藤酒造)です。
拝殿後方には幣殿(へいでん)・本殿が続きます。

祭神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと=天鈿女命)と猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の夫婦神と天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。本殿に向かって右手奥に八幡神社があります。
拝殿の手前、参道右手に猿田彦社があります。

猿田彦社です。

本殿にも猿田彦大神がまつられていますが、別宮としてまつられているようです。
猿田彦社の近くにある神宮遥拝所です。

後編に続きます。


創建の詳細は不明ですが、927年にまとめられた延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載がある古社です。1529年に兵火により焼失しますが、1560年に近隣の氏子により新たに天照大神(あまてらすおおかみ)・八幡大神(はちまんおおかみ)を勧請して現在地に再建したと伝えられています。
鳥居から進むと参道右手に手水舎があります。

参道正面にある拝殿です。

2009年再建です。
拝殿の扁額です。

拝殿脇には、奉納された菰樽が置かれています。

近隣にある酒蔵の酒です。「噴井(ふきい)」(四日市市石川酒造)、「鈿女(うづめ)」(四日市市伊藤酒造)です。
拝殿後方には幣殿(へいでん)・本殿が続きます。

祭神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと=天鈿女命)と猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の夫婦神と天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。本殿に向かって右手奥に八幡神社があります。
拝殿の手前、参道右手に猿田彦社があります。

猿田彦社です。

本殿にも猿田彦大神がまつられていますが、別宮としてまつられているようです。
猿田彦社の近くにある神宮遥拝所です。

後編に続きます。

宇賀多(うがた)神社 後編
三重県志摩市の宇賀多神社の続きです。

社宮司社(しゃぐうじしゃ)に向かって左隣にある拝殿です。主祭神は、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野久須毘命(くまのくすひのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津姫命(たきつひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)です。天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)との間で交わされた誓約(うけい)で生まれた五男三女神です。
拝殿の扁額です。

天忍穂耳命は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)の別名があり、「正しく勝つ・我が勝つ・すばやく勝つ」と勝負の神とされ、また社名の宇賀多が「受かった」・「うっ勝った」に通じることから多くの受験生やスポーツ選手が参拝に訪れるそうです。
拝殿の手前、参道左手にあるご神木の竹柏(なぎ)の木です。

江戸時代中期に落雷から本殿を守護したと伝えられています。厄難や災禍を「なぎ倒す」「難儀たおす」ことから災難除けの木とされ、葉をお守りに奉製して授与しているそうです。
二の鳥居の近くにある建物です。

旧の社務所でしょうか。(未確認)
境内にあった碧志摩(あおしま)メグの等身大パネルです。

三重県志摩市をPRするための海女をモチーフとした萌えキャラクターだそうです。
南参道のご神木です。

<宇賀多神社(うがたじんじゃ)>三重県志摩市阿児町鵜方1550
近鉄鵜方駅北口から徒歩約7分


社宮司社(しゃぐうじしゃ)に向かって左隣にある拝殿です。主祭神は、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野久須毘命(くまのくすひのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津姫命(たきつひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)です。天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)との間で交わされた誓約(うけい)で生まれた五男三女神です。
拝殿の扁額です。

天忍穂耳命は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)の別名があり、「正しく勝つ・我が勝つ・すばやく勝つ」と勝負の神とされ、また社名の宇賀多が「受かった」・「うっ勝った」に通じることから多くの受験生やスポーツ選手が参拝に訪れるそうです。
拝殿の手前、参道左手にあるご神木の竹柏(なぎ)の木です。

江戸時代中期に落雷から本殿を守護したと伝えられています。厄難や災禍を「なぎ倒す」「難儀たおす」ことから災難除けの木とされ、葉をお守りに奉製して授与しているそうです。
二の鳥居の近くにある建物です。

旧の社務所でしょうか。(未確認)
境内にあった碧志摩(あおしま)メグの等身大パネルです。

三重県志摩市をPRするための海女をモチーフとした萌えキャラクターだそうです。
南参道のご神木です。

<宇賀多神社(うがたじんじゃ)>三重県志摩市阿児町鵜方1550
近鉄鵜方駅北口から徒歩約7分

宇賀多(うがた)神社 前編
三重県志摩市の宇賀多神社へ、行ってきました。

創建の詳細は不明ですが、鎌倉時代に海から引き揚げられた石(石神)をまつったのが始まりで、室町時代に末殿八王子社と合祀したと伝えられています。江戸時代に宇気比(うけひ)神社とよばれ、1871年に天真名井(あめのまない)神社と改称、1909年に村内の神社(17柱)を合祀して現社名に改称しています。写真は一の鳥居です。
参道途中から見た境内の様子です。

写真右は社務所・宝物殿です。
参道の途中、左手に手水舎があります。

さらに進むと石段があり、先に二の鳥居が見えます。

二の鳥居です。

二の鳥居の先で参道は右に折れます。
参道の途中、右手にある手水鉢です。

参道の先に社宮司社(しゃぐうじしゃ)があります。

創建の始まりとされる鎌倉時代に海から引き揚げられた石をまつっています。
社宮司社です。

社殿はありません。現在は祓戸(はらえど)としていて、まずはこちらで心身を清めます。
後編に続きます。


創建の詳細は不明ですが、鎌倉時代に海から引き揚げられた石(石神)をまつったのが始まりで、室町時代に末殿八王子社と合祀したと伝えられています。江戸時代に宇気比(うけひ)神社とよばれ、1871年に天真名井(あめのまない)神社と改称、1909年に村内の神社(17柱)を合祀して現社名に改称しています。写真は一の鳥居です。
参道途中から見た境内の様子です。

写真右は社務所・宝物殿です。
参道の途中、左手に手水舎があります。

さらに進むと石段があり、先に二の鳥居が見えます。

二の鳥居です。

二の鳥居の先で参道は右に折れます。
参道の途中、右手にある手水鉢です。

参道の先に社宮司社(しゃぐうじしゃ)があります。

創建の始まりとされる鎌倉時代に海から引き揚げられた石をまつっています。
社宮司社です。

社殿はありません。現在は祓戸(はらえど)としていて、まずはこちらで心身を清めます。
後編に続きます。
