興雲閣(こううんかく)
島根県松江市の興雲閣へ、行ってきました。

松江市が松江市工芸品陳列所として1903年に竣工しています。1907年に皇太子・嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)の山陰道行啓(ぎょうけい、皇后や皇太子などのお出まし)の際には旅館となり迎賓館としての役割を果たしています。
玄関ホールから見た車寄せの様子です。

玄関ホールを入って左手の廊下です。

廊下を挟んで写真左がカフェ、右は展示室になっています。玄関ホールを入って右手は事務室です。
2階への階段です。

2階部分から見た階段です。

2階部分の様子です。

大広間で、奥に嘉仁親王の山陰道行啓の際に御座所・御寝所などとして使われた貴顕室(きけんしつ)があります。大広間は有料で貸し切ることが可能です。
貴顕室・謁見の間です。

謁見の間に続く拝謁の間です。

拝謁の間に続く御寝所です。

畳敷きの部屋になっています。
車寄せの2階部分です。

2階バルコニーの様子です。

バルコニーから見た松江城です。

手前の屋根は松江神社社務所です。
<興雲閣(こううんかく)>島根県松江市殿町1-59
松江城 興雲閣のページ
一畑電車松江しんじ湖温泉駅から徒歩約20分、JR松江駅からレイクラインバスで大手前バス停下車徒歩約3分


松江市が松江市工芸品陳列所として1903年に竣工しています。1907年に皇太子・嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)の山陰道行啓(ぎょうけい、皇后や皇太子などのお出まし)の際には旅館となり迎賓館としての役割を果たしています。
玄関ホールから見た車寄せの様子です。

玄関ホールを入って左手の廊下です。

廊下を挟んで写真左がカフェ、右は展示室になっています。玄関ホールを入って右手は事務室です。
2階への階段です。

2階部分から見た階段です。

2階部分の様子です。

大広間で、奥に嘉仁親王の山陰道行啓の際に御座所・御寝所などとして使われた貴顕室(きけんしつ)があります。大広間は有料で貸し切ることが可能です。
貴顕室・謁見の間です。

謁見の間に続く拝謁の間です。

拝謁の間に続く御寝所です。

畳敷きの部屋になっています。
車寄せの2階部分です。

2階バルコニーの様子です。

バルコニーから見た松江城です。

手前の屋根は松江神社社務所です。
<興雲閣(こううんかく)>島根県松江市殿町1-59
松江城 興雲閣のページ
一畑電車松江しんじ湖温泉駅から徒歩約20分、JR松江駅からレイクラインバスで大手前バス停下車徒歩約3分

松江(まつえ)神社
島根県松江市の松江神社へ、行ってきました。

松江城の二の丸にある神社です。1877年に旧松江藩の有志により楽山神社として創建、1889年に近隣の東照宮(1628年に堀尾忠晴(ただはる、松江藩2代藩主が創建)の御神霊を合祀、1890年に現在地に遷座し現社名になっています。
鳥居を入って左手にある手水舎です。

東照宮にあった手水舎を移築したもので、1639年建築です。
手水鉢です。

拝殿です。

東照宮から移築したもので1661年建築です。
拝殿の後方にある本殿です。

東照宮から移築したもので1628年建築です。主祭神は、松平直政(松江松平家初代藩主)で、徳川家康・松平治郷(はるさと=不昧(ふまい)、松平家7代藩主)・堀尾吉晴(よしはる、松江開府の祖、堀尾忠晴の祖父)を配祀しています。
拝殿に向かって右手に福徳稲荷神社があります。

福徳稲荷神社です。

拝殿に向かって左手奥にある建物です。

何の建物かは未確認です。
拝殿に向かって左手にある社務所です。

<松江神社(まつえじんじゃ)>島根県松江市殿町1
一畑電車松江しんじ湖温泉駅から徒歩約20分、JR松江駅からレイクラインバスで大手前バス停下車徒歩約3分


松江城の二の丸にある神社です。1877年に旧松江藩の有志により楽山神社として創建、1889年に近隣の東照宮(1628年に堀尾忠晴(ただはる、松江藩2代藩主が創建)の御神霊を合祀、1890年に現在地に遷座し現社名になっています。
鳥居を入って左手にある手水舎です。

東照宮にあった手水舎を移築したもので、1639年建築です。
手水鉢です。

拝殿です。

東照宮から移築したもので1661年建築です。
拝殿の後方にある本殿です。

東照宮から移築したもので1628年建築です。主祭神は、松平直政(松江松平家初代藩主)で、徳川家康・松平治郷(はるさと=不昧(ふまい)、松平家7代藩主)・堀尾吉晴(よしはる、松江開府の祖、堀尾忠晴の祖父)を配祀しています。
拝殿に向かって右手に福徳稲荷神社があります。

福徳稲荷神社です。

拝殿に向かって左手奥にある建物です。

何の建物かは未確認です。
拝殿に向かって左手にある社務所です。

<松江神社(まつえじんじゃ)>島根県松江市殿町1
一畑電車松江しんじ湖温泉駅から徒歩約20分、JR松江駅からレイクラインバスで大手前バス停下車徒歩約3分

松江城(まつえじょう) 後編
島根県松江市の松江城の続きです。

一の門を入って正面にある天守です。1611年落成で、全国に現存する12天守の1つで千鳥城ともよばれています。2012年に「慶長十六年」(1611年)と記された祈祷札2枚が発見され、築城年代が明確になったことなどから国宝に指定されています。
地下に展示されている鯱鉾(しゃちほこ)です。

製作年代は不明ですが、1950年代の解体修理まで天守最上部にあったものです。
地下にある井戸です。

深さ24mで常時飲料水が得られたそうです。天守内部に井戸があるのは現存天守で唯一です。
1階部分です。

天守を支える柱は、2階分を貫く通し柱が数多く使用されています。また、芯になる柱材を複数の厚い板で覆う集成材になっています。
2階部分です。

天守は4重5階、地下1階です。
3階部分です。

4階部分です。

5階部分です。

5階から見た南方向です。

写真右奥に見えるのは宍道湖(しんじこ)です。
南東側から見た天守の様子です。

<松江城(まつえじょう)>島根県松江市殿町1-5
松江城 公式ページ
大手木戸門跡まで、一畑電車松江しんじ湖温泉駅から徒歩約17分、JR松江駅からレイクラインバスで大手前バス停下車すぐ


一の門を入って正面にある天守です。1611年落成で、全国に現存する12天守の1つで千鳥城ともよばれています。2012年に「慶長十六年」(1611年)と記された祈祷札2枚が発見され、築城年代が明確になったことなどから国宝に指定されています。
地下に展示されている鯱鉾(しゃちほこ)です。

製作年代は不明ですが、1950年代の解体修理まで天守最上部にあったものです。
地下にある井戸です。

深さ24mで常時飲料水が得られたそうです。天守内部に井戸があるのは現存天守で唯一です。
1階部分です。

天守を支える柱は、2階分を貫く通し柱が数多く使用されています。また、芯になる柱材を複数の厚い板で覆う集成材になっています。
2階部分です。

天守は4重5階、地下1階です。
3階部分です。

4階部分です。

5階部分です。

5階から見た南方向です。

写真右奥に見えるのは宍道湖(しんじこ)です。
南東側から見た天守の様子です。

<松江城(まつえじょう)>島根県松江市殿町1-5
松江城 公式ページ
大手木戸門跡まで、一畑電車松江しんじ湖温泉駅から徒歩約17分、JR松江駅からレイクラインバスで大手前バス停下車すぐ

松江城(まつえじょう) 前編
島根県松江市の松江城へ、行ってきました。

1607年に堀尾忠氏(ほりおただうじ)により築城が開始され1611年に落成したといわれています。写真は大手木戸門跡です。
大手木戸門跡前にある堀尾吉晴像です。

堀尾吉晴(よしはる)は豊臣政権下では三大老の1人で、1600年の関ケ原合戦の後、出雲・隠岐国を拝領した子の忠氏とともに月山戸田城(がっさんとだじょう)に入りますが、松江の将来性に着目して城地を移しています。松江開府の祖といわれています。
松江城の南、島根県庁前には松平直政像があります。

堀尾家・京極家の跡を継ぎ、1638年に出雲国松江藩初代藩主になっています。その後、松平家が明治維新まで続きます。
大手木戸門跡横から見た南櫓(写真左端)・中櫓です。

2000~2001年に復元されたものです。
大手門跡・外曲輪(くるわ)です。

写真奥は太鼓櫓(2001年復元)です。
太鼓櫓石垣横の石段を進むと三ノ「門跡に着きます。

さらに進むと二ノ門跡に着きます。

さらに進み、ようやく一ノ門跡です。

写真右は南多聞櫓で、一ノ門とともに1960年復元です。
一の門を入って見た南多聞櫓です。

後編に続きます。


1607年に堀尾忠氏(ほりおただうじ)により築城が開始され1611年に落成したといわれています。写真は大手木戸門跡です。
大手木戸門跡前にある堀尾吉晴像です。

堀尾吉晴(よしはる)は豊臣政権下では三大老の1人で、1600年の関ケ原合戦の後、出雲・隠岐国を拝領した子の忠氏とともに月山戸田城(がっさんとだじょう)に入りますが、松江の将来性に着目して城地を移しています。松江開府の祖といわれています。
松江城の南、島根県庁前には松平直政像があります。

堀尾家・京極家の跡を継ぎ、1638年に出雲国松江藩初代藩主になっています。その後、松平家が明治維新まで続きます。
大手木戸門跡横から見た南櫓(写真左端)・中櫓です。

2000~2001年に復元されたものです。
大手門跡・外曲輪(くるわ)です。

写真奥は太鼓櫓(2001年復元)です。
太鼓櫓石垣横の石段を進むと三ノ「門跡に着きます。

さらに進むと二ノ門跡に着きます。

さらに進み、ようやく一ノ門跡です。

写真右は南多聞櫓で、一ノ門とともに1960年復元です。
一の門を入って見た南多聞櫓です。

後編に続きます。

城山稲荷(じょうざんいなり)神社 前編
島根県松江市の城山稲荷神社へ、行ってきました。

1611年に堀尾吉春が松江城を建造する際にこの地にあった若宮八幡宮を守護神としてまつり、1638年に松平直政が出雲松江藩主として移封された際に藩内の平穏を願って稲荷神社を創建し、若宮八幡宮を合祀しています。
鳥居を入ってしばらく進むと左に曲がり、参道が続きます。

参道の途中、左手にある手水舎です。

手水舎から少し進むと石段になります。

石段を上ると随身門があります。

随身門の手前には石狐がちょこんと座っています!

随身門を入って正面にある拝殿です。

拝殿内の様子です。

拝殿からは、幣殿(へいでん)・本殿と続ます。

祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
後編に続きます。


1611年に堀尾吉春が松江城を建造する際にこの地にあった若宮八幡宮を守護神としてまつり、1638年に松平直政が出雲松江藩主として移封された際に藩内の平穏を願って稲荷神社を創建し、若宮八幡宮を合祀しています。
鳥居を入ってしばらく進むと左に曲がり、参道が続きます。

参道の途中、左手にある手水舎です。

手水舎から少し進むと石段になります。

石段を上ると随身門があります。

随身門の手前には石狐がちょこんと座っています!

随身門を入って正面にある拝殿です。

拝殿内の様子です。

拝殿からは、幣殿(へいでん)・本殿と続ます。

祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
後編に続きます。
