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五風荘(ごふうそう) 後編

大阪府岸和田市の五風荘の続きです。

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母屋から池を挟んで対岸にある茶室「山亭」です。長い柱や貫で床下を固定してその上に建物を建てる懸崖(けんがい)造りです。

「山亭」の近くに鎮守社(屋敷神)があります。
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鎮守社です。
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八幡神がまつられているようです。

鎮守社に向かって右手に進むと、さらに茶室があります。
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貴賓用の茶室「利庵・残月席」です。

「利庵・残月席」に隣接してある茶室「利庵・八窓席」です。
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「利庵・八窓席」から進むと船津橋門があります。
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船津橋という橋の橋柱を利用したものだそうです。

船津橋門の近くにある「十三石の塔」です。
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1264年建立です。後に、織田信長が安土城の総見寺に移築、豊臣秀吉によって大阪城に移されるなど転々としたものを寺田利吉が譲り受けたものだそうです。

「十三石の塔」の近くには滝があります。
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「十三石の塔」近くから見た母屋です。
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母屋の前から見た庭園の様子です。
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<五風荘(ごふうそう)>大阪府岸和田市岸城町18-1
岸和田市五風荘 公式ページ
南海蛸地蔵駅から徒歩約5分または南海岸和田駅南口から徒歩約10分


五風荘(ごふうそう) 前編

大阪府岸和田市の五風荘へ、行ってきました。

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岸和田城二の曲輪(くるわ)の「新御茶屋」の跡地に旧寺田財閥堺寺田家の2代当主で岸和田市長も務めた寺田利吉(りきち)が、1929年から10年をかけて造成された別邸です。1992年に岸和田市の所有となり、現在は岸和田グランドホールが指定管理者として和食レストラン「岸和田市五風荘」を営んでいます。

レストランの玄関です。
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庭園への門です。
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庭園は一般開放されていて自由に散策できます。

池を中心にした回遊式日本庭園です。
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小道を進んでいくと小さな門があります。
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為善門(いぜんもん)とよばれ、重い瓦屋根と細い木の柱とのアンバランスを楽しむ門だそうです。

為善門から進むと左手にある待ち席です。
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お茶の準備が整うまでの席です。

為善門から進むと右手にある雪見灯篭です。
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雪見灯篭の近くから見た母屋です。
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別の角度から見た母屋です。
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後編に続きます。


岸和田城(きしわだじょう) 後編

大阪府岸和田市の岸和田城の続きです。

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1954年に再建された復興天守で、3層3階、高さ約22mです。1597年に築城された天守は1827年に落雷で焼失し、以降は再建されませんでしたが、5層天守で復興天守より約10m高かったと考えられています。

天守の3階部分です。
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1階や2階では、旧藩主・岡部家の資料などが展示されています。

3階にあるフォトスポットです。
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岸和田藩士伝来甲冑で「白韋威(しろかわおどし)伊予札(いよざね)二枚胴具足」だそうです。

天守から北東側を見た風景です。
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岸和田市役所(写真左上端)や岸和田高校のグラウンドなどが見えます。

天守から南西側を見た風景です。
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旧寺田財閥堺寺田家の2代当主で岸和田市長を務めた寺田利吉(りきち)の別邸として1929年から10年をかけて造成された五風荘(ごふうそう、写真中央)などが見えます。

天守から見た「八陣の庭」です。
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本丸の北にある二の丸です。
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二の丸にある市民道場「心技館」です。
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1961年建築です。

北側から見た二の丸です。
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<岸和田城(きしわだじょう)>大阪府岸和田市岸城町9-1
天守まで、南海蛸地蔵駅から徒歩約11分または南海岸和田駅南口から徒歩約17分


岸和田城(きしわだじょう) 前編

大阪府岸和田市の岸和田城へ、行ってきました。

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築城の詳細は不明ですが、発掘調査によると15世紀後半に現在地より南東約500mに山城(岸和田古城)が築かれたと考えられています。1583年に羽柴(豊臣)秀吉が中村一氏(かずうじ)を岸和田城主として紀州征伐の拠点とし、その後、秀吉は小出秀政を城主として1597年に天守が築城されたとされています。江戸時代に松平家が入城後、1640年に岡部宣勝(のぶかつ)が入城し、明治維新まで13代の居城となっています。

西側からみた岸和田城です。
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天守は1954年再建です。

北西側から見た岸和田城です。
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隅櫓・多門櫓・城壁は1969年再建です。

別の角度から見た隅櫓・多門櫓・天守などです。
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櫓門です。
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1969年再建です。

櫓門を入って左手に進むと大きな釜が置かれています。
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岸和田市にあった信貴本家(しぎほんけ)酒造(1999年廃業)が寄贈した大釜です。この釜の上に甑(こしき)を置き、米を蒸していたのでしょう。

さらに進むと、庭園があります。
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庭園設計の第一人者・重森三玲(しげもりみれい)が設計・監督で1953年に造られたもので、「八陣の庭」とよばれています。諸葛孔明の八陣法をテーマにしたとされ、大将を中心に天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を石組みで配されています。国の名勝に指定されています。

別の角度から見た「八陣の庭」です。
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後編に続きます。


春日(かすが)神社の跡

大阪市淀川区の春日神社の跡へ、行ってきました。

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春日神社の創建の詳細は不明ですが、昔、大きな榊(さかき)の老木があり、その老木をご神木として春日大社(奈良市)から分霊を勧請して地域の鎮守社にしたと伝えられています。1908年に中島惣社(なかじまそうしゃ、大阪市東淀川区)に合祀され廃社となりました。

春日神社が合祀された中島惣社拝殿です。
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春日神社の跡からは南東へ徒歩約20分の場所にあります。

「春日神社之址」と刻まれた石碑です。
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春日神社の跡は、元はもう少し南にありましたが、1961年からの新大阪駅周辺土地区画整理事業で、現在地に移転しています。跡地の移転というのは珍しいような。

石碑に向かって右手に手水鉢があります。
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跡地にある建物です。
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写真左より、稲荷社・地蔵尊・愛宕社がまつられています。

<春日神社の跡(かすがじんじゃしゃのあと)>大阪市淀川区宮原1-18-14
大阪メトロ東三国駅4番出口から徒歩約5分、JR東淀川駅西口から徒歩約7分