春日(かすが)神社の跡
大阪市淀川区の春日神社の跡へ、行ってきました。

春日神社の創建の詳細は不明ですが、昔、大きな榊(さかき)の老木があり、その老木をご神木として春日大社(奈良市)から分霊を勧請して地域の鎮守社にしたと伝えられています。1908年に中島惣社(なかじまそうしゃ、大阪市東淀川区)に合祀され廃社となりました。
春日神社が合祀された中島惣社拝殿です。

春日神社の跡からは南東へ徒歩約20分の場所にあります。
「春日神社之址」と刻まれた石碑です。

春日神社の跡は、元はもう少し南にありましたが、1961年からの新大阪駅周辺土地区画整理事業で、現在地に移転しています。跡地の移転というのは珍しいような。
石碑に向かって右手に手水鉢があります。

跡地にある建物です。

写真左より、稲荷社・地蔵尊・愛宕社がまつられています。
<春日神社の跡(かすがじんじゃしゃのあと)>大阪市淀川区宮原1-18-14
大阪メトロ東三国駅4番出口から徒歩約5分、JR東淀川駅西口から徒歩約7分


春日神社の創建の詳細は不明ですが、昔、大きな榊(さかき)の老木があり、その老木をご神木として春日大社(奈良市)から分霊を勧請して地域の鎮守社にしたと伝えられています。1908年に中島惣社(なかじまそうしゃ、大阪市東淀川区)に合祀され廃社となりました。
春日神社が合祀された中島惣社拝殿です。

春日神社の跡からは南東へ徒歩約20分の場所にあります。
「春日神社之址」と刻まれた石碑です。

春日神社の跡は、元はもう少し南にありましたが、1961年からの新大阪駅周辺土地区画整理事業で、現在地に移転しています。跡地の移転というのは珍しいような。
石碑に向かって右手に手水鉢があります。

跡地にある建物です。

写真左より、稲荷社・地蔵尊・愛宕社がまつられています。
<春日神社の跡(かすがじんじゃしゃのあと)>大阪市淀川区宮原1-18-14
大阪メトロ東三国駅4番出口から徒歩約5分、JR東淀川駅西口から徒歩約7分

蒲田(かまた)神社 その3
大阪市淀川区の蒲田神社の続きです。

参道の途中、左手にある祭器庫(さいきこ)です。
拝殿の手前、参道右手にある斎館(清明閣)です。

神職などが神事に携わる前に心身を清めるためにこもる建物です。
斎館に向かって左手にあるご神木です。

斎館に向かって右手にある社務所です。

社務所に向かって右手にあるご神木です。

拝殿に向かって右手にある側面(南)鳥居です。

側面鳥居の北側にもご神木があります。

<蒲田神社(かまたじんじゃ)大阪市淀川区東三国2-18-12
蒲田神社 公式ページ
大阪メトロ東三国駅1番出口から徒歩約2分、JR東淀川駅西口から徒歩約8分


参道の途中、左手にある祭器庫(さいきこ)です。
拝殿の手前、参道右手にある斎館(清明閣)です。

神職などが神事に携わる前に心身を清めるためにこもる建物です。
斎館に向かって左手にあるご神木です。

斎館に向かって右手にある社務所です。

社務所に向かって右手にあるご神木です。

拝殿に向かって右手にある側面(南)鳥居です。

側面鳥居の北側にもご神木があります。

<蒲田神社(かまたじんじゃ)大阪市淀川区東三国2-18-12
蒲田神社 公式ページ
大阪メトロ東三国駅1番出口から徒歩約2分、JR東淀川駅西口から徒歩約8分

蒲田(かまた)神社 その2
大阪市淀川区の蒲田神社の続きです。

本殿に向かって右手奥にあるご神木の蒲田千年楠(かまたせんねんくす)です。
参道の途中、右手に白光(しらみつ)社があります。

白光社です。

1879年に樹齢約650年の大楠が枯死し、その切り株の上に巳(み)さん(蛇神)をまつっています。
参道の途中で左手に進むと恵比須社があります。

恵比須社です。

事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)をまつっています。
参道の途中、左手に祖霊社があります。

祖霊社です。

祖先の御霊(みたま)をまつる社で、故郷から離れている人が参拝すると、故郷の神社と通じて家に帰ることができるそうです。
祖霊社に向かって右手にある十二支方位です。

鬼瓦と各干支の瓦が置かれています。北に子(ね)をあて、丑(うし)・寅(とら)と十二支の順番に時計回りに方位をあてはめています。
その3に続きます。


本殿に向かって右手奥にあるご神木の蒲田千年楠(かまたせんねんくす)です。
参道の途中、右手に白光(しらみつ)社があります。

白光社です。

1879年に樹齢約650年の大楠が枯死し、その切り株の上に巳(み)さん(蛇神)をまつっています。
参道の途中で左手に進むと恵比須社があります。

恵比須社です。

事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)をまつっています。
参道の途中、左手に祖霊社があります。

祖霊社です。

祖先の御霊(みたま)をまつる社で、故郷から離れている人が参拝すると、故郷の神社と通じて家に帰ることができるそうです。
祖霊社に向かって右手にある十二支方位です。

鬼瓦と各干支の瓦が置かれています。北に子(ね)をあて、丑(うし)・寅(とら)と十二支の順番に時計回りに方位をあてはめています。
その3に続きます。

蒲田(かまた)神社 その1
大阪市淀川区の蒲田神社へ、行ってきました。

創建の詳細は不明ですが、天禄(てんろく)年間(970~973年)に播磨国の室明神(むろみょうじん、現・賀茂神社(兵庫県たつの市))が京都・加茂社(現・賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(通称・上賀茂神社、京都市北区)から分霊を勧請する際に、この地で台風に遭遇し船が風待ちを行ったので、この地にも分霊を勧請した、室町時代にこの地の有力者・佛生院又三郎が室明神から分霊を勧請して村の鎮守とした、などの説があります。元は室社や稲荷明神社とよばれていましたが、1909年に現社名に改称しています。
参道を進むと鳥居があります。

鳥居から進むと、参道左手に手水舎があります。

手水鉢の奥には水神社がまつられています。

手水舎付近から見た境内の様子です。

さらに参道を進むと石段があり、先に注連柱があります。

参道正面にある拝殿です。

拝殿奥にある本殿です。

祭神は、宇賀御魂大神(うがみたまのおおかみ)と別雷大神(わけいかづちのおおかみ)です。
その2に続きます。


創建の詳細は不明ですが、天禄(てんろく)年間(970~973年)に播磨国の室明神(むろみょうじん、現・賀茂神社(兵庫県たつの市))が京都・加茂社(現・賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(通称・上賀茂神社、京都市北区)から分霊を勧請する際に、この地で台風に遭遇し船が風待ちを行ったので、この地にも分霊を勧請した、室町時代にこの地の有力者・佛生院又三郎が室明神から分霊を勧請して村の鎮守とした、などの説があります。元は室社や稲荷明神社とよばれていましたが、1909年に現社名に改称しています。
参道を進むと鳥居があります。

鳥居から進むと、参道左手に手水舎があります。

手水鉢の奥には水神社がまつられています。

手水舎付近から見た境内の様子です。

さらに参道を進むと石段があり、先に注連柱があります。

参道正面にある拝殿です。

拝殿奥にある本殿です。

祭神は、宇賀御魂大神(うがみたまのおおかみ)と別雷大神(わけいかづちのおおかみ)です。
その2に続きます。

御津宮(みつぐう)
大阪市中央区の御津宮へ、行ってきました。

創建の詳細は不明ですが、仁徳(にんとく)天皇(第16代天皇)が難波宮(なにわのみや=難波高津宮)を都とした頃に味原郷(大阪市天王寺区辺り)にまつられていたものを後世に遷座したもの、749年に手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう、奈良市)が東大寺(奈良市)の守護神として宇佐神宮(うさじんぐう、大分県宇佐市)から勧請された折に、宇佐からの神輿が一時安置された跡に、八幡神をまつったのが始まりなど諸説あります。
鳥居から参道を進むと左手に手水社があります。

参道正面にある拝殿です。

1945年の大阪大空襲で社殿は焼失し、1960年再建です。祭神は、応神(おうじん)天皇(第15代天皇)・仲哀(ちゅうあい)天皇(第14代天皇)・比咩大神(ひめおおかみ=神功皇后(仲哀天皇の皇后・応神天皇の母))です。
拝殿の扁額です。

御津八幡宮や島之内八幡宮ともよばれています。
鳥居の近く、参道右手にある石宮社です。

石宮龍王をまつっています。
手水社に向かって左手にある石敢當(せっかんとう)です。

氏子から寄進されたもので、魔物の侵入を防ぐ魔除けで、魔物は石敢當に当たると砕け散るといわれています。
拝殿に向かって左手にある勅願所石碑です。

後鳥羽(ごとば)天皇(第82代天皇)の勅命で鎮護国家・玉体安穏などを祈願したといわれています。
拝殿に向かって左手にある社務所です。

境内東側の鳥居です。

<御津宮(みつぐう)>大阪市中央区西心斎橋2-10-7
御津宮 公式ページ
大阪メトロ心斎橋駅7番出口から徒歩約5分


創建の詳細は不明ですが、仁徳(にんとく)天皇(第16代天皇)が難波宮(なにわのみや=難波高津宮)を都とした頃に味原郷(大阪市天王寺区辺り)にまつられていたものを後世に遷座したもの、749年に手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう、奈良市)が東大寺(奈良市)の守護神として宇佐神宮(うさじんぐう、大分県宇佐市)から勧請された折に、宇佐からの神輿が一時安置された跡に、八幡神をまつったのが始まりなど諸説あります。
鳥居から参道を進むと左手に手水社があります。

参道正面にある拝殿です。

1945年の大阪大空襲で社殿は焼失し、1960年再建です。祭神は、応神(おうじん)天皇(第15代天皇)・仲哀(ちゅうあい)天皇(第14代天皇)・比咩大神(ひめおおかみ=神功皇后(仲哀天皇の皇后・応神天皇の母))です。
拝殿の扁額です。

御津八幡宮や島之内八幡宮ともよばれています。
鳥居の近く、参道右手にある石宮社です。

石宮龍王をまつっています。
手水社に向かって左手にある石敢當(せっかんとう)です。

氏子から寄進されたもので、魔物の侵入を防ぐ魔除けで、魔物は石敢當に当たると砕け散るといわれています。
拝殿に向かって左手にある勅願所石碑です。

後鳥羽(ごとば)天皇(第82代天皇)の勅命で鎮護国家・玉体安穏などを祈願したといわれています。
拝殿に向かって左手にある社務所です。

境内東側の鳥居です。

<御津宮(みつぐう)>大阪市中央区西心斎橋2-10-7
御津宮 公式ページ
大阪メトロ心斎橋駅7番出口から徒歩約5分
