fc2ブログ

広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう) 後編

広島市東区の広島東照宮の続きです。

s-DSC_8423.jpg
拝殿に向かって右手にある本地堂(ほんじどう)です。1648年建築です。原爆被害でも倒壊・焼失を免れた被爆建物です。2021年から解体修理が行われ、2023年10月に完了しています。建物全体に木目を浮き出させる春慶塗が施されています。明治の神仏分離前までは、徳川家康の本地仏がまつられてたそうです。

本殿の背後にある御産稲荷(おさんいなり)神社です。
s-DSC_8409.jpg
地元では「お産さん」とよばれ、安産祈願の絵馬がたくさん奉納されています。

御産稲荷神社に向かって左手にある福禄寿石像です。
s-DSC_8414.jpg
「広島二葉山山麓七福神巡り」の1つです。

福禄寿石像に向かって左手にある御神井(ごしんせい)です。
s-DSC_8417.jpg
常に水が湧き干ばつ時にも絶えなかったといわれています。現在も祭典や例祭の茶会などに用いられています。

拝殿に向かって左手奥にある祖霊社です。
s-DSC_8420.jpg

祖霊社に向かって左手に金光稲荷(きんこういなり)神社などへの参道があります。
s-DSC_8421.jpg

本殿背後の二葉山に多くの社がまつられています。
s-DSC_8416.jpg
奥宮までは石段が約500段あるそうで、この日は体力を考慮してここまで・・。

拝殿に向かって右手奥にある神輿蔵です。
s-DSC_8422.jpg

唐門(からもん)から延びる翼廊(よくろう)には奉納された菰樽が!
s-DSC_8428.jpg
徳川家19代当主・徳川家広氏が献上したものです。「超群(ちょうぐん)」は、広島県庄原市の生熊(いくま)酒造が醸す酒です。

授与所でいただいた「獅子おみくじ」です。
s-DSC_8494.jpg

<広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう)>広島市東区二葉の里2-1-18
広島東照宮 公式ページ
拝殿までJR広島駅北口から徒歩約15分


広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう) 前編

広島市東区の広島東照宮へ、行ってきました。

s-DSC_8390.jpg
広島藩浅野家2代藩主・浅野光晟(みつあきら、浅野家17代当主)によって、1646年に広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営が開始され、1648年に創建しています。

参道を進むと途中に石鳥居があります。
s-DSC_8392.jpg
1648年に浅野長治(ながはる、浅野光晟の叔父、三次(みよし)藩(広島藩の支藩)初代藩主)が寄進したものです。1945年の原爆被害で倒壊しますが修復されて建立したもののようです。

鳥居から参道を進むと石段が続き、先に唐門(からもん)が見えます。
s-DSC_8399.jpg

唐門です。
s-DSC_8400.jpg
唐門や唐門から延びる翼廊(よくろう)は1646年建築です。いずれも原爆被害で倒壊・焼失を免れた被爆建物です。原爆被害で北東に傾いていましたが、修復保存修理が行われ2011年に完成しています。

唐門から見た境内の様子です。
s-DSC_8401.jpg

唐門から参道を進むと左手に手水舎があります。
s-DSC_8402.jpg
1648年建築です。原爆被害でも倒壊・焼失を免れた被爆建物です。1979年に解体修理が行われ当時の姿に復元されています。

参道正面にある拝殿です。
s-DSC_8433.jpg
原爆被害で焼失しますが、1946年に仮拝所が設けられ、1965年に再建されています。

拝殿の扁額です。
s-DSC_8406.jpg

拝殿の奥には幣殿(へいでん)・本殿が続きます。
s-DSC_8408.jpg

背後から見た本殿です。
s-DSC_8413.jpg
祭神は、東照大権現(徳川家康)です。

後編に続きます。


鶴羽根(つるはね)神社

広島市東区の鶴羽根神社へ、行ってきました。

s-DSC_8362.jpg
平安時代末期の武将・源頼政(1180年の以仁王(もちひとおう)の挙兵で自害)の側室であった菖蒲前(あやめのまえ)が建久年間(1190~1199年)に安芸國加茂群(現・広島県東広島市)に領地を賜り、没後、遺言により元久年間(1204~1206年)に家臣であった池田左衛門が社殿を建立したのが始まりと伝えられています。写真は境内入口にある注連柱(しめばしら)です。

注連柱から参道を進むと一の鳥居があります。
s-DSC_8365.jpg
創建当初は椎木八幡宮(しいのきはちまんぐう)とよばれていたようですが、戦乱や火災などで荒廃、江戸時代初期に明星院(みょうじょういん、広島市東区)の鎮守社となり、1835年に現在地に遷座、1873年に鶴羽根神社に改称しています。

一の鳥居を入ると石の太鼓橋があります。
s-DSC_8366.jpg

太鼓橋の両側は庭園になっています。
s-DSC_8387.jpg

太鼓橋から見た境内の様子です。
s-DSC_8368.jpg

太鼓橋から参道を進むと左手に手水舎があります。
s-DSC_8369.jpg
手水舎・手水鉢は1945年の原爆被害にも耐えています。(爆心地から約1,810m)

さらに参道を進むと二の鳥居があります。
s-DSC_8374.jpg

二の鳥居から参道を進むと石段があり、先に拝殿が見えます。
s-DSC_8375.jpg

参道正面にある拝殿です。
s-DSC_8377.jpg
原爆被害で倒壊しましたが焼失を免れ規模を縮して再建されています。祭神は、八幡三神(品陀和気命(ほむだわけのみこと)=応神天皇(第15代天皇)・息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后(仲哀(ちゅうあい)天皇(第14代天皇)の皇后で応神天皇の母)・帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)=仲哀天皇)と伊邪那伎命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の5柱です。

二の鳥居の近く、参道左手にある椎木稲荷神社です。
s-DSC_8383.jpg

手水舎の隣にある弁財天石像です
s-DSC_8371.jpg
「広島二葉山山麓七福神巡り」の1つです。

<鶴羽根神社(つるはねじんじゃ)>広島市東区二葉の里2-5-11
鶴羽根神社 公式ページ
広島電鉄白島駅から徒歩約10分、JR広島駅北口から徒歩約14分


饒津(にぎつ)神社 後編

広島市東区の饒津神社の続きです。

s-DSC_8360.jpg
拝殿の背後には石段があり先に中門・本殿がありますが立入禁止です。

別の角度から見た中門・本殿です。
s-DSC_8353.jpg
1984年に再建され、戦前の姿となっています。

本殿です。
s-DSC_8354.jpg
祭神は、浅野長政(浅野家14代当主)・浅野末津姫(長政の正室=長生院 (ちょうせいいん)、豊臣秀吉の正室・寧寧(ねね)の妹)・浅野幸長(よしなが、浅野家15代当主)・浅野長晟(ながあきら、浅野家16代当主、広島藩浅野家初代藩主)・浅野長勲(ながこと、浅野家27代当主、広島藩12代藩主(最後の藩主))です。

拝殿に向かって右手に稲荷神社があります。
s-DSC_8350.jpg

稲荷神社です。
s-DSC_8351.jpg
浅野家別邸の庭園・縮景園(しゅくけいえん、広島市中区)に、浅野吉長(よしなが、浅野家20代当主、広島藩浅野家5代藩主)が1713にまつった稲荷神社を遷座したものです。

拝殿に向かって左手にある浅野長勲公頌徳碑です。
s-DSC_8358.jpg
頌徳碑(しょうとくひ)とは、偉人や先覚者などの徳をほめたたえる文章を刻んだ碑です。

浅野長勲公頌徳碑の手前にある石水盤石灯籠銘碑です。
s-DSC_8356.jpg
1810年に浅野長政200回忌法要が明星院(みょうじょういん、広島市東区)で営まれた際に手水鉢・石燈篭を奉納した272名の名が刻まれています。1835年の饒津神社創建の際に、手水鉢とともに移設されています。

向唐門(むかいからもん)の手前、参道左手にある恵比須石像です。
s-DSC_8328.jpg
「広島二葉山山麓七福神巡り」の1つです。

向唐門から拝殿への参道の途中、左手にある社務所です。
s-DSC_8361.jpg

<饒津神社(にぎつじんじゃ)>広島市東区二葉の里2-6-34
饒津神社 公式ページ
広島電鉄白島駅から徒歩約10分、JR新白島駅から徒歩約18分


饒津(にぎつ)神社 前編

広島市東区の饒津神社へ、行ってきました。

s-DSC_8321.jpg
1706年に広島藩・浅野家4代藩主(浅野家19代当主)の浅野綱長(つななが)が、14代当主・浅野長政の位牌堂を建立したのが始まりで、1835年に9代藩主(浅野家24代当主)の浅野斉粛(なりたか)が祖先追悼のため現在地に社殿を建立して創建したとされています。写真は境内入口にある社石標と参道の注連柱(しめばしら)です。

参道を進むと右手に松の切り株が保存されています。
s-DSC_8323.jpg
参道には1835年に植樹された松並木がありましたが、1945年の原爆被害で損傷・倒木、数本の松が生き延びましたが松くい虫や大気汚染の影響で枯れていき、最後の1本となった松が2003年に枯死したため、切り株として保存しています。覆屋もこの松の木を材料として建てられたそうです。

切り株の年輪の様子です。
s-DSC_8324.jpg
原爆の熱風や爆風で枝葉が焼けたり吹き飛ばされたため、1945~1969年の年輪が殆どなく詰まったようになっています。

参道を進むと二の鳥居があります。
s-DSC_8325.jpg
原爆被害で失われましたが、2006年に再建されました。一の鳥居は注連柱のすぐ奥にありましたが、失われたままです。

二の鳥居から参道を進むと参道左手に手水舎があります。
s-DSC_8340.jpg
手水鉢の表面は原爆被害で破損しています。2017年に被爆の痕跡を保存するため最低限の修復を行い、手水鉢として使用を開始しています。

さらに参道を進むと石段があり先に向唐門(むかいからもん)があります。
s-DSC_8339.jpg
原爆被害で焼失し、2000年に再建されました。

手水舎の近くにある案内板です。
s-DSC_8327.jpg
1945年8/20に撮影されたもので、案内板の写真左にある黒い部分が手水鉢、中央の石段付近が向唐門の礎石です。

向唐門から参道を進むとさらに石段があり、拝殿が見えます。
s-DSC_8343.jpg
石段を上がると参道は右に折れます。

参道正面にある拝殿です。
s-DSC_8345.jpg
1984年再建です。拝殿は、広島城から見て鬼門にあり、広島城の方を向くように建てられているため途中で参道が曲がっています。

後編に続きます。