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児安(こやす)神社

石川県金沢市の児安神社へ、行ってきました。

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創建の詳細は不明ですが、722年の百万町歩開墾計画や723年の三世一身の法でこの辺りでも田畑の開墾が進められ、水の農業の神をまつり、723年に大櫃宮(おおひのみや)として創建したとも伝えられています。

さんど石川県金沢市の児安神社へ、行ってきました。

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創建の詳細は不明ですが、722年の百万町歩開墾計画や723年の三世一身の法でこの辺りでも田畑の開墾が進められ、723年に水の農業の神・畦分堰神(あぜわけせきのかみ)をまつり大櫃宮(おおひのみや)として創建したとも伝えられています。

参道を進むと石段があり、先に鳥居があります。
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戦国時代には、安産・子育ての神をまつり、江戸時代には加賀藩3代藩主・前田利常から前田家に伝わる安産神符の伝授奉納を受け泰産社(たいさんしゃ)と号し、1873年に現社名に改称しています。

鳥居から参道を進むと左手に手水舎があります。
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さらに参道を進むと石段があり奥に社殿があります。
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石段を上がり参道を進むと左手にある拝殿です。
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祭神は、伊邪奈美命(いざなみのみこと)・伊邪奈岐命(いざなぎのみこと)で、畦分堰神・児安大明神(こやすだいみょうじん)を相殿(あいどの、複数の神を一緒にまつること)しています。

拝殿に向かって左手に乳母嶽(おばたけ)神社があります。
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この地に住む住人に神託があり、母乳不足に悩む母親の守護神として、新潟県上越市の乳母嶽神社から分霊をまつり、1884年に境内社として建立しています。

乳母嶽神社拝殿です。
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別の角度から見た乳母嶽神社拝殿(写真右)と本殿です。
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乳母嶽神社の参道脇にある子授石(こさずけいし)です。
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この石を撫で、じぶんの腹をなでると子を授かり、豊富な母乳を得られるといわれている霊石です。

拝殿に向かって右手にある社務所です。
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手水舎の手前、参道左手にあるご神木です。
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<児安神社(こやすじんじゃ)>石川県金沢市大樋町11-1
IRいしかわ鉄道線東金沢駅から徒歩約17分、JR金沢駅東口から北鉄バス81系統柳橋寺町行きなどで鳴和バス停下車徒歩約4分


尾山(おやま)神社 その3

石川県金沢市の尾山神社の続きです。

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拝殿に向かって右手にある前田利家(加賀藩藩祖)像です。右手には槍を持っています。元服後、前田又左衞門利家と名乗り、槍の名手だったことから、「槍の又左(またざ)」の異名を持っています。6m30㎝もの長槍を操っていたそうです。

前田利家像の近くに、おまつの方(芳春院(ほうしゅんいん))座像があります。
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まつは、前田利家の正室で11歳で嫁ぎ、11歳11月で長女を出産、32歳までの12年間で2男9女を出産しています。

おまつの方座像に向かって右手にある神輿庫です。
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拝殿に向かって右手には神苑があります。
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旧・金谷御殿(かなやごてん)の庭園です。

別の角度から見た神苑です。
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神門を入って右手には導水管の一部が置かれています。
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金沢城へひかれた辰巳用水から分岐して金谷御殿にも水を引き、庭に滝を作っていたそうです。写真の導水管は1844年に取り替えられた導水管の一部です。

拝殿の手前、右手にある授与所です。
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2015年に完成した新しい授与所です。

拝殿に向かって左手にある授与所・社務所です。
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境内南東にある東神門です。
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旧・金沢城二の丸の唐門を移築したものです。

<尾山神社(おやまじんじゃ)>石川県金沢市尾山町11-1
JR金沢駅東口から城下まち金沢周遊バス左回りルートで南町・尾山神社バス停下車徒歩約4分


尾山(おやま)神社 その2

石川県金沢市の尾山神社の続きです。

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神門から参道を進むと正面にある拝殿です。1873年建築ですが、拝殿中央の格天井と欄間は旧・金谷御殿から移築したものです。

拝殿の奥にある本殿です。
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1873年建築です。本殿に向かって右側面の玉垣は煉瓦造りになっています。祭神は、前田利家(加賀藩藩祖)・松子命(まつのこみこと=正室まつ(芳春院(ようしゅんいん)))です。

拝殿に向かって右手奥に金谷(かなや)神社があります。
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金谷神社拝殿です。
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金谷神社本殿です。
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加賀藩2代藩主・前田利長から17代までの歴代藩主(2~13代)・当主(14~17代)と正室・夫人をまつっています。

金谷神社の参道左脇にある「さし石(力石)」です。
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旧・藩主前田家から拝領した石で、この石を担いで力と技を競ったそうです。この石に触れて健康を願う人が多いそうです。

神門を入って右手に進むと遥拝所へ向かう石段があります。
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石段を上がると正面にある皇大神宮(伊勢神宮)遥拝所です。
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皇大神宮遥拝所に向かって左手にある明治神宮遥拝所です。
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その3に続きます。


尾山(おやま)神社 その1

石川県金沢市の尾山神社へ、行ってきました。

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1873年に旧・加賀藩士らが加賀藩前田家の祖・前田利家をまつり創建しています。前田利家は豊臣政権の五大老の1人です。

鳥居です。
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境内は、金沢城の金谷出丸(かなやねまる)の跡地で、隠居した藩主や世継ぎなど藩主一族が居住する金谷御殿があったそうです。

鳥居から石段を上がると神門があります。
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1875年建築です。洋風建築を模した擬洋風建築ですが、中国の寺院の作りも取り入れています。

一層目様子です。
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煉瓦を積んだ上に戸室石(とむろいし)でアーチが架けられています。全て石造りのように見えますが、表面を覆っているだけで中の骨組みは木造だそうです。

別の角度から見た一層目です。
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神門を抜けると右手に手水舎があります。
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境内側から見た神門です。
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三層目に設置されている避雷針は、現存する日本最古のものだそうです。

境内側から見た三層目の様子です。
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四面五彩のギヤマン張りで、もとは御神灯が点灯されたそうです。毎日、日没から22時までライトアップされるとギヤマンが色鮮やかに輝くそうです。

その2に続きます。


黒門前緑地

石川県金沢市の黒門前緑地へ、行ってきました。

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金沢城黒門口前にある緑地です。1995年までは金沢地方検察庁検事正官舎の敷地で、2001年に官舎の一部と周囲の土塀を保存するとともに、科学者で製薬会社・三共(現・第一三共)の創業者である高峰譲吉(たかみねじょうきち、)の家屋(離れ)を移築し、公園として整備したものです。

旧・金沢地方検察庁検事正官舎の玄関です。
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1910年建築で、元は兼六園の近くにあったものを1918年に現在地に移築しています。無料で内部の見学ができるのですが、感染拡大防止のため、現在は一般の受付は行っていないそうです。

玄関に向かって右手には洋館が隣接しています。
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玄関前に向かって左手は石畳の外路地が作られています。
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外路地にある中門です。
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中門から見た旧・高峰家離れです。
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1872年に建築された居宅の一部で、書斎や茶室として使用されたようです。

別の角度から見た旧・高峰家離れです。
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外路地からは通路が作られ金沢城黒門口方面へ通り抜けられるようになっています。
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黒門側方面から見た黒門前緑地です。
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この辺りは、加賀藩初代藩主・前田利家の4女で豊臣秀吉の養女となった豪姫の住居跡と伝えられています。豪姫は岡山城主・宇喜多秀家に嫁ぎますが、1600年の関ケ原の戦いで敗れ、宇喜多秀家は八丈島に流され、豪姫は金沢に帰り、この辺りで居住し、1634年に60歳で亡くなったそうです。

<黒門前緑地(くろもんまえりょくち)>石川県金沢市丸の内5−16
JR金沢駅から徒歩約22分、JR金沢駅東口から城下まち金沢周遊バス左回りルートで武蔵ヶ辻・近江町市場バス停下車徒歩約8分