平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)
東京都千代田区の平将門の首塚(将門塚)へ、行ってきました。

平将門は、桓武天皇の孫・高望王(たかもちおう)の三男・平良将(たいらのよしまさ)の子で、935年に平氏一族の抗争がおこり、939年に常陸・下野・上野の国府を占領、関東を支配下にし新皇と名乗りますが、940年に平貞盛・藤原秀郷らに討たれます。(平将門の乱=天慶(てんぎょう)の乱)
敷地に入る石段正面から見た様子です。

隣接地で工事が行われ、工事の粉塵や落下物が落ちて影響が出ないように周囲を鉄骨造りの防護屋根で覆われています。再開発のため、何度か首塚を撤去されそうになりますが、施工主や工事関係者が事故や病気になり「将門の祟り」と噂されています。
石段を上がって見た敷地の様子です。

戦前に、大蔵省の仮庁舎を建設しようとした際には官僚や工事関係者が続々と不審死を遂げた、GHQが首塚を撤去しようとしたが、重機が横転して運転手が死亡したなどで、いずれも工事が中止になったそうです。
石段を上がって正面にある「故蹟保存碑」です。

1906~1908年に大蔵大臣を務めた阪谷芳郎(さかたによしろう)が史跡保存の必要性を告示するため1906年に建立したものです。
「故蹟保存碑」に向かって右手に平将門の首塚があります。

平将門が討たれ、首は平安京へ送られ都大路で晒されますが、3日目に空高く舞い上がり故郷に向けて飛んで行き、数か所に落ちたとされています。その1か所がこの地で、村人が恐怖し塚を築いて埋葬したといわれています。
平将門の首塚です。

1307年に時宗の僧・他阿(たあ=真教)が板石塔婆を建てて日輪寺(江戸時代に移転、現東京都台東区)に供養し、さらに傍らの神田明神(神田神宮、東京都千代田区)に霊を合わせまつったことから将門の霊魂が鎮まり、この地の守護神になったといわれています。こちらも、近隣の工事が終了するまでは強化ガラスで覆われているようです。
<平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)>東京都千代田区大手町1-2-1
東京メトロ・都営地下鉄大手町駅C5出口すぐ


平将門は、桓武天皇の孫・高望王(たかもちおう)の三男・平良将(たいらのよしまさ)の子で、935年に平氏一族の抗争がおこり、939年に常陸・下野・上野の国府を占領、関東を支配下にし新皇と名乗りますが、940年に平貞盛・藤原秀郷らに討たれます。(平将門の乱=天慶(てんぎょう)の乱)
敷地に入る石段正面から見た様子です。

隣接地で工事が行われ、工事の粉塵や落下物が落ちて影響が出ないように周囲を鉄骨造りの防護屋根で覆われています。再開発のため、何度か首塚を撤去されそうになりますが、施工主や工事関係者が事故や病気になり「将門の祟り」と噂されています。
石段を上がって見た敷地の様子です。

戦前に、大蔵省の仮庁舎を建設しようとした際には官僚や工事関係者が続々と不審死を遂げた、GHQが首塚を撤去しようとしたが、重機が横転して運転手が死亡したなどで、いずれも工事が中止になったそうです。
石段を上がって正面にある「故蹟保存碑」です。

1906~1908年に大蔵大臣を務めた阪谷芳郎(さかたによしろう)が史跡保存の必要性を告示するため1906年に建立したものです。
「故蹟保存碑」に向かって右手に平将門の首塚があります。

平将門が討たれ、首は平安京へ送られ都大路で晒されますが、3日目に空高く舞い上がり故郷に向けて飛んで行き、数か所に落ちたとされています。その1か所がこの地で、村人が恐怖し塚を築いて埋葬したといわれています。
平将門の首塚です。

1307年に時宗の僧・他阿(たあ=真教)が板石塔婆を建てて日輪寺(江戸時代に移転、現東京都台東区)に供養し、さらに傍らの神田明神(神田神宮、東京都千代田区)に霊を合わせまつったことから将門の霊魂が鎮まり、この地の守護神になったといわれています。こちらも、近隣の工事が終了するまでは強化ガラスで覆われているようです。
<平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)>東京都千代田区大手町1-2-1
東京メトロ・都営地下鉄大手町駅C5出口すぐ

皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん) 後編
東京都千代田区の皇居東御苑の続きです。

大手中の門跡です。
大手中の門を入ると右手にある大番所(おおばんしょ)です。

警備詰所で、位の高い与力や同心が詰めていたそうです。
大番所から進むと中雀門(7ちゅうじゃくもん)跡があります。

大手口からの登城ルートで、本丸に至る最後のの門です。
江戸城本丸跡です。

南から本丸表御殿、本丸中奥(なかおく)、本丸大奥の3区域があり、その奥に天守があったようです。現在は芝生になっています。
天守台のみが残っています。

江戸城天守は徳川家康の1606年、秀忠の1622年、家光の1638年と3度建て替えられていますが、1657年の明暦の大火で焼失した後は天守台石垣が築き直されただけで再建されることはありませんでした。
本丸東にある展望台からの様子です。

本丸東側で現存している白鳥濠で、、一般公開されている範囲で家康時代の石垣が見られる唯一の場所だそうです。
本丸西側にある茶畑です。

他に果樹古品種園、バラ園、ツバキ園などがあります。
茶畑の南にある松之大廊下(まつのおおろうか)跡の石碑です。

本丸御殿の大広間から将軍と対面する白書院へ続く廊下で、廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから名付けられたそうです。忠臣蔵の刃傷事件で吉良上野介が斬りつけられた廊下です。
松之大廊下跡から南へ進むと富士見櫓があります。

本丸地区に現存する唯一の櫓です。
<皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)>東京都千代田区千代田1-1
宮内庁 皇居東御苑参観のページ
東京メトロ・都営地下鉄大手町駅C13a出口から徒歩約5分


大手中の門跡です。
大手中の門を入ると右手にある大番所(おおばんしょ)です。

警備詰所で、位の高い与力や同心が詰めていたそうです。
大番所から進むと中雀門(7ちゅうじゃくもん)跡があります。

大手口からの登城ルートで、本丸に至る最後のの門です。
江戸城本丸跡です。

南から本丸表御殿、本丸中奥(なかおく)、本丸大奥の3区域があり、その奥に天守があったようです。現在は芝生になっています。
天守台のみが残っています。

江戸城天守は徳川家康の1606年、秀忠の1622年、家光の1638年と3度建て替えられていますが、1657年の明暦の大火で焼失した後は天守台石垣が築き直されただけで再建されることはありませんでした。
本丸東にある展望台からの様子です。

本丸東側で現存している白鳥濠で、、一般公開されている範囲で家康時代の石垣が見られる唯一の場所だそうです。
本丸西側にある茶畑です。

他に果樹古品種園、バラ園、ツバキ園などがあります。
茶畑の南にある松之大廊下(まつのおおろうか)跡の石碑です。

本丸御殿の大広間から将軍と対面する白書院へ続く廊下で、廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから名付けられたそうです。忠臣蔵の刃傷事件で吉良上野介が斬りつけられた廊下です。
松之大廊下跡から南へ進むと富士見櫓があります。

本丸地区に現存する唯一の櫓です。
<皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)>東京都千代田区千代田1-1
宮内庁 皇居東御苑参観のページ
東京メトロ・都営地下鉄大手町駅C13a出口から徒歩約5分

皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん) 前編
東京都千代田区の皇居東御苑へ、行ってきました。

皇居東地区の旧江戸城本丸と二の丸・三の丸の一部を皇居附属庭園として整備されたもので、1968年9月に完成、同年10月から一般公開されています。写真は大手門で、手前に高麗門、右に渡櫓門(わたりやぐらも)からなる枡形門です。
大手門 高麗門から入ります。

他に、平川門(ひらかわもん)・北桔橋門(きたはねばしもん)から入ることができます。
大手門 渡櫓門です。

大手門は旧江戸城の正門です。
大手門 渡櫓門手前に置かれている鯱(しゃち)です。

1945年に戦災で焼失した旧大手門渡櫓門の屋根に飾られていたものです。
受付で入園票をもらいます。

受付から進むと右手に三の丸尚蔵館(しょうぞうかん)があります。

1989年に皇室から国に寄贈された美術品を研究・公開する施設で、1993年に開館しています。
少し進むと左手に済寧館(さいねいかん)が見えます。

武道稽古に使用された道場で、現在は皇宮警察の道場として使用されているそうです。
さらに進むと、右手に同心番所(どうしんばんしょ)があります。

番所は警備詰所の事で、同心とよばれる武士が詰め登城者の監視をしていた場所です。
同心番所から進むと百人番所(ひゃくにんばんしょ)があります。

三の丸の手前に設けられていた検問所で、甲賀組,根来(ねごろ)組,伊賀組,二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交代で詰めていたそうです。
別の角度から見た百人番所です。

後編に続きます。


皇居東地区の旧江戸城本丸と二の丸・三の丸の一部を皇居附属庭園として整備されたもので、1968年9月に完成、同年10月から一般公開されています。写真は大手門で、手前に高麗門、右に渡櫓門(わたりやぐらも)からなる枡形門です。
大手門 高麗門から入ります。

他に、平川門(ひらかわもん)・北桔橋門(きたはねばしもん)から入ることができます。
大手門 渡櫓門です。

大手門は旧江戸城の正門です。
大手門 渡櫓門手前に置かれている鯱(しゃち)です。

1945年に戦災で焼失した旧大手門渡櫓門の屋根に飾られていたものです。
受付で入園票をもらいます。

受付から進むと右手に三の丸尚蔵館(しょうぞうかん)があります。

1989年に皇室から国に寄贈された美術品を研究・公開する施設で、1993年に開館しています。
少し進むと左手に済寧館(さいねいかん)が見えます。

武道稽古に使用された道場で、現在は皇宮警察の道場として使用されているそうです。
さらに進むと、右手に同心番所(どうしんばんしょ)があります。

番所は警備詰所の事で、同心とよばれる武士が詰め登城者の監視をしていた場所です。
同心番所から進むと百人番所(ひゃくにんばんしょ)があります。

三の丸の手前に設けられていた検問所で、甲賀組,根来(ねごろ)組,伊賀組,二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交代で詰めていたそうです。
別の角度から見た百人番所です。

後編に続きます。

皇居(こうきょ)一般参観 その4
東京都千代田区の皇居 一般参観の続きです。

正門鉄橋(せいもんてつばし)から見た正門石橋(せいもんいしばし)と皇居正門(写真右)です。
皇居の外側から見た皇居正門です。

江戸城の西の丸大手門です。正門石橋を通って皇居正門を入り、ぐるっと回るように進むと正門鉄橋に続きます。
正門鉄橋にある電燈です。

別の角度から見た正門石橋と皇居外苑です。

正門鉄橋から見た伏見櫓(写真左)・十四間多聞櫓です。

1628年に京都の伏見城から移築したものと伝えられています。
正門鉄橋からは元の道を引き返します。

長和殿(ちょうわでん)を過ぎて左手に曲がり進むと、正殿の屋根と宮殿の1つ・連翠(れんすい、写真右)が見えます。宴会や茶会などに使用される小食堂です。
山下通りを進んでいきます。

宮内庁庁舎の横を進んで行き、窓明館(そうめいかん)へ戻り一般参観終了。

桔梗門から入って窓明館での説明を含み、トータル時間は約1時間40分でした。
桔梗門から出て見た巽櫓(たつみやぐら、桜田二重櫓)です。

窓明館で購入したコイン型チョコです。

<皇居(こうきょ)一般参観>東京都千代田区千代田1-1
宮内庁 皇室関連施設 皇居のページ
東京メトロ二重橋前駅から徒歩約7分(桔梗門まで)


正門鉄橋(せいもんてつばし)から見た正門石橋(せいもんいしばし)と皇居正門(写真右)です。
皇居の外側から見た皇居正門です。

江戸城の西の丸大手門です。正門石橋を通って皇居正門を入り、ぐるっと回るように進むと正門鉄橋に続きます。
正門鉄橋にある電燈です。

別の角度から見た正門石橋と皇居外苑です。

正門鉄橋から見た伏見櫓(写真左)・十四間多聞櫓です。

1628年に京都の伏見城から移築したものと伝えられています。
正門鉄橋からは元の道を引き返します。

長和殿(ちょうわでん)を過ぎて左手に曲がり進むと、正殿の屋根と宮殿の1つ・連翠(れんすい、写真右)が見えます。宴会や茶会などに使用される小食堂です。
山下通りを進んでいきます。

宮内庁庁舎の横を進んで行き、窓明館(そうめいかん)へ戻り一般参観終了。

桔梗門から入って窓明館での説明を含み、トータル時間は約1時間40分でした。
桔梗門から出て見た巽櫓(たつみやぐら、桜田二重櫓)です。

窓明館で購入したコイン型チョコです。

<皇居(こうきょ)一般参観>東京都千代田区千代田1-1
宮内庁 皇室関連施設 皇居のページ
東京メトロ二重橋前駅から徒歩約7分(桔梗門まで)

皇居(こうきょ)一般参観 その3
東京都千代田区の皇居 一般参観の続きです。

蓮池濠(はすいけぼり)を過ぎると宮内庁庁舎があります。1935年建築で、1952年~1969年までは3階を仮宮殿として使用していたそうです。
宮内庁庁舎正面から下ると坂下門があります。

皇居の外側から見た坂下門はこんな感じ

宮内庁庁舎から進むと宮殿東庭(きゅうでんとうてい)に続きます。

写真上にあるのが長和殿(ちょうわでん)で、奥に正殿(せいでん)、表御座所など7棟の建物があり、まとめて宮殿(きゅうでん)とよばれています。宮殿は1964年に起工し1968年に落成しています。
長和殿です。

一般参賀でベランダに天皇皇后両陛下がお出ましになる場所です。御即位一般参賀が5/4に行われますが、大混雑になることでしょう・・。
別の角度から見た長和殿です。

長さは160mあります。
長和殿に向かって右手奥にある豊明殿(ほうめいでん)です。

大きな饗宴が催されるときに使う宮殿だそうです。
長和殿に向かって左手奥から、千草・千鳥の間が見えます。

宮殿東庭から中門へ進みます。

中門出ると正門鉄橋(せいもんてつばし)に続きます。

皇居外側から見た正門鉄橋です。

堀が深いので江戸時代には橋桁を上下二重に組み橋の上に橋を作っていた形だったので二重橋とよばれていました。現在は鉄橋になったので二重橋ではなくなりましたが、正門石橋(せいもんいしばし)と合わせて通称・二重橋とよばれています。
その4に続きます。


蓮池濠(はすいけぼり)を過ぎると宮内庁庁舎があります。1935年建築で、1952年~1969年までは3階を仮宮殿として使用していたそうです。
宮内庁庁舎正面から下ると坂下門があります。

皇居の外側から見た坂下門はこんな感じ

宮内庁庁舎から進むと宮殿東庭(きゅうでんとうてい)に続きます。

写真上にあるのが長和殿(ちょうわでん)で、奥に正殿(せいでん)、表御座所など7棟の建物があり、まとめて宮殿(きゅうでん)とよばれています。宮殿は1964年に起工し1968年に落成しています。
長和殿です。

一般参賀でベランダに天皇皇后両陛下がお出ましになる場所です。御即位一般参賀が5/4に行われますが、大混雑になることでしょう・・。
別の角度から見た長和殿です。

長さは160mあります。
長和殿に向かって右手奥にある豊明殿(ほうめいでん)です。

大きな饗宴が催されるときに使う宮殿だそうです。
長和殿に向かって左手奥から、千草・千鳥の間が見えます。

宮殿東庭から中門へ進みます。

中門出ると正門鉄橋(せいもんてつばし)に続きます。

皇居外側から見た正門鉄橋です。

堀が深いので江戸時代には橋桁を上下二重に組み橋の上に橋を作っていた形だったので二重橋とよばれていました。現在は鉄橋になったので二重橋ではなくなりましたが、正門石橋(せいもんいしばし)と合わせて通称・二重橋とよばれています。
その4に続きます。
