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角島(つのしま)

山口県下関市の角島へ、行ってきました。

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日本海にある島で、山口県の北西端にある島です。写真左が角島、中央が鳩島、写真右が本州です。

角島大橋です。
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2000年11月開通で全長1,780メートル、開通当時は通行料無料の離島架橋としては日本最長でした。(現在は第4位)鳩島の自然景観を考慮して鳩島に橋げたを作らず迂回するように建設されています。

角島大橋を渡ります。
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自動車のCMロケ地として有名です。自動車専用の橋のように見えますが、徒歩や自転車での通行も可能です。ただし歩道や自転車道は無いので注意が必要です。

角島の北西端近くにある角島灯台です。
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明治時代に来日し多くの灯台を設計した英国人建築家・リチャード・ブラントンの設計で、1876年に初点灯しています。高さ29.6mで登ることも可能です。(記念館を含む入場料は大人200円)

角島の北西端に夢前(ゆうめさき)明神があります。
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夢前の磯の石を積み重ねた石垣に囲まれた境内です。

鳥居です。
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昔、海女が海の中から石を龍神様に捧げていた石を角島灯台の役人が取り除こうとしましたが、明神が大蛇の姿となり役人の枕元に立ったことから今も残っているそうです。

賽銭箱の奥に小さな石造りの祠の屋根が見えます。
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龍神と刻まれた石碑もあります。

角島西側の海岸の風景です。
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こんな場所もありました!
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ドラマのロケ地にもなっているのですね。

<角島(つのしま)>山口県下関市豊北町大字角島2343-2(角島灯台)
JR湯田温泉・新山口駅から「やまぐち絶景満喫バス」推奨(ゴールデンウィーク期間と年末年始を除く土・日・祝のみ運行、要予約、詳細はこちら → やまぐち絶景満喫バスのページ)、またはJR滝部駅または特牛(こっとい)駅からブルーライン交通バスで灯台公園前バス停下車徒歩約2分(角島灯台)

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元乃隅稲成(もとのすみいなり)神社 後編

山口県長門市の元乃隅稲成神社の続きです。

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本殿と思われる祠から石段を上がると鳥居があります。2016年11月に完成したもので、扁額の前に賽銭箱が付けられています。賽銭箱までの高さは約5mで「日本一入れにくい賽銭箱」として有名です。宮司さんの話によると、重たい硬貨(500円硬貨)が入りやすいが、紙幣は見たことが無いそうです。

賽銭箱のある鳥居を入り右手一段高いところにも鳥居があります。
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鳥居の奥に石造りの小さな祠があります。
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参拝者が増加して、海岸から続く参道にある本殿と思われる祠への参拝が混雑するので、参拝しやすいように分霊したようにも思われますが、詳細は未確認です。

石造りの小さな祠からの風景です。
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裏参道(駐車場側)の鳥居です。
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以前はこの鳥居に賽銭箱が付けられていたそうですが、道路に近く、硬貨を拾う参拝者が車と接触する危険性があるため移設したそうです。

裏参道から見た風景です。
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2015年にアメリカの放送局CNNの「日本の最も美しい場所31選」に選ばれたことから注目を浴び、以前は年間3万人の参拝者が2015年は7万人、2016年は53万人と増え、なんと2017年は108万人にもなったそうです。

御朱印も頂くことができます。
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<元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)>山口県長門市油谷津黄(ゆやつおう)498
JR湯田温泉・新山口駅から「やまぐち絶景満喫バス」推奨(ゴールデンウィーク期間と年末年始を除く土・日・祝のみ運行、要予約、詳細はこちら → やまぐち絶景満喫バスのページ)、またはJR長門古市駅からタクシー約20分

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元乃隅稲成(もとのすみいなり)神社 前編

山口県長門市の元乃隅稲成神社へ、行ってきました。

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1955年に地元の網元だった岡本斉(さとし)氏の枕元に白狐が現れ、「これまで漁をしてこられたのは誰のおかげか、吾をこの地に鎮祭せよ」とお告げがあったことから、太鼓谷稲成(たいこだに)神社(島根県鹿足郡津和野町)から分霊して建立しています。

一の鳥居から赤い鳥居が続きます。
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「稲荷神社」を「稲成神社」と記すのは、元は太鼓谷稲成神社だけだったそうです。願望成就の御神威が高い稲荷で、お願い事がよく叶うという意味を込め「稲成神社」としているそうです。太鼓谷稲荷神社の詳細はこちら → 太鼓谷稲成神社 公式ページ

鳥居をくぐって参道を進みます。
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途中までは坂で、後は石段になっています。

定期的に鳥居の色塗りが行われているそうです。
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参道の途中から振り返った景色です。
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海岸線の近くから鳥居が続きています。

海岸からの景色はこんな感じ。
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海岸の岩にまつられている地蔵像です。
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他にも石像がまつられています。
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海の安全を守っているのでしょう。写真中央手前の石はタコでしょうか?

参道の先にある祠が本殿と思われます。
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祭神は、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ=稲成大神)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。

後編に続きます。

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松陰(しょういん)神社 後編

山口県萩市の松陰神社の続きです。

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参道を進むと二の鳥居に着きます。

二の鳥居を入って右手にある手水舎です。
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二の鳥居を入って正面にある拝殿です。
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1940年に起工し1942年に竣工しましたが、戦争中のため遷座が行われず、遷座したのは情勢が落ち着いた1955年です。

本殿です。
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祭神は、吉田矩方命(よしだのりかたのみこと=吉田松陰)で、松陰が愛用していた赤間硯と松陰の書簡をご神体としてまつっています。

拝殿に向かって右手にある勧学堂です。
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元は品川弥二郎生誕地(山口県萩市、現在は石碑のみ)あり、品川神社といわれていましたが、1985年に現在地に移築改修し、祭神の品川弥次郎命は松門神社に合祀し、松陰の分霊をこの祠にまつっています。品川弥次郎は15歳で松下村塾に入り、後に内務大臣を務めています。

二の鳥居に向かって左手に松門神社の鳥居があります。
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松門神社です。
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1956年創建です。旧松陰神社の社殿で、久坂玄端・高杉晋作・伊藤博文・山形有朋・木戸孝允など松下村塾の門下生52人と、三宅島に流罪となりながらも松陰の遺書を17年間肌身離さず守り抜いた沼崎吉五郎を加え、計53柱を祭神としています。

参道の途中、右手にある宝物殿「至誠館」です。
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沼崎吉五郎が守り抜いた松陰の遺書・留魂録(りゅうこんろく)が展示されています。他にも遺品や資料が展示されています。

参道の途中、左手にある吉田松陰歴史館です。
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松陰の生涯を70体以上のろう人形で再現しています。

一の鳥居の手前、左手にある立志殿です。
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参集殿を兼ね講演や研修会などを開催する場になっています。

<松陰神社(しょういんじんじゃ)>山口県萩市椿東1537
松陰神社 公式ページ
JR萩駅から萩循環まぁーるバス東回りコースで松陰神社前バス停下車徒歩約1分

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松陰(しょういん)神社 前編

山口県萩市の松陰神社へ、行ってきました。

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1890年に吉田松陰の実家・杉家の人々の手で邸内に松陰の霊をまつる土蔵を造りの祠を建立したのが前身で、1907年に松下村塾出身の伊藤博文・野村靖が神社創建を請願、許可され創建しています。写真は一の鳥居です。

一の鳥居から進むと左手にある石碑です。
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1859年に松陰が家族にあてた遺書の中の句で、「親思ふ こころにまさる 親ごごろ けふの音づれ 何ときくらん」と刻まれています。

さらに参道を進むと左手に松下村塾があります。
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1842年に松陰の叔父・玉木文之進(たまきぶんのしん)が開いた私塾で、少年だった松陰が入門、その後、松陰が指導した短い時期の塾生から幕末・明治期を主導した人材を多く輩出しています。

別の角度から見た松下村塾です。
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幕末の建物を若干補修してそのまま保存されています。明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されています。

松下村塾の講義室です。
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松陰の石膏像と肖像画、机が置かれています。

松下村塾から少し進むと杉家旧宅があります。
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1854年に松陰がアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して捕らえられ萩に送られ獄にいれられます。翌年に釈放されますが実家の杉家で謹慎生活を送ります。

杉家旧宅です。
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杉家旧宅の内部の様子です。
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214㎡ある大きな建物です。

東側にある3畳半が松陰が謹慎した部屋(幽囚室(ゆうしゅうしつ))です。
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後編に続きます。

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