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萩城跡(はぎじょうあと)

山口県萩市のの萩城跡へ、行ってきました。

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関ヶ原の戦いで西軍の総大将だったことから周防国(山口県防府市・岩国市・光市など)・長門国(山口県下関市・萩市・長門市など)の2ヶ国に減封された毛利輝元が1604年に築いた城です。指月山(しづきやま)の山麓にあることから指月城ともよばれています。

二の丸南門にある毛利輝元像です。
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豊臣政権の五大老の一人でした。関ヶ原の戦い後は剃髪し、嫡男の毛利秀就(ひでなり)に家督を譲り、秀就が初代長州藩主となりますが、実質的なトップとして君臨し続けています。

二の丸南門付近の様子です。
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二の丸南門近くにある塩矢倉跡です。
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二の丸から本丸へ続く橋です。
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橋の奥が本丸門跡です。

内堀と天守閣跡(写真中央左)です。
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本丸跡は指月公園になっています。

二の丸門の南にある旧厚狭毛利家(あさもうりけ)萩屋敷長屋です。
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厚狭毛利家は、毛利元就(もとなり)の五男・毛利元秋(もとあき)を始祖とする毛利家の一門です。

厚狭毛利家萩屋敷長屋です。
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明治維新前後に主屋や庭園などは解体され長屋のみが残っています。1856年に建築されたもので重要文化財です。

長屋に展示されていた萩城の復元模型です。
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同じく展示されていた解体前の萩城天守の写真です。
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<萩城跡(はぎじょうあと)>山口県萩市堀内1-1
JR萩駅から萩循環まぁーるバス西回りコースで「萩城跡・指月公園入口 北門屋敷入口」バス停下車徒歩5分

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龍福寺(りゅうふくじ) 後編

山口市の龍福寺の続きです。

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本堂に向かって左手にある龍福寺資料館です。大内義隆画像、書状、瓦などが展示されています。

資料館入口左手にある大内義隆像です。
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参道左手にある地蔵像です。
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参道左手にある子育。水子地蔵尊です。
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参道左手にある大内義隆主従の供養塔です。
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写真右の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は大寧寺(たいねいじ、山口県長門市)にある義隆の墓を原寸大に複製したもので、十三重石塔は義隆に従って戦死した忠臣等の供養のために建立したものです。

山門を入って左手にある宝現霊社です。
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大内氏の祖、琳聖太子(りんしょうたいし)から31代の大内義隆に至る歴代をまつる社で、龍福寺の鎮守として建立されています。

宝現霊社に向かって右手にある豊後岩です。
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大内氏は歴代政庁をこの地に置き、来訪の客をもてなすため、当時は珍しい蘇鉄を植え、豊後の国(大分県)から岩を船で運び邸前に壮麗な築庭を造りました。大内氏滅亡後は荒廃して豊後岩だけが残り往時の跡を残しています。ほぼ境内全域が大内氏館跡として国の史跡に指定されています。

<龍福寺(りゅうふくじ)>山口市大殿大路119
JR山口駅から山口市コミュニティバスで八坂神社前バス停下車徒歩約5分、JR上山口駅から徒歩約9分

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龍福寺(りゅうふくじ) 前編

山口市の龍福寺へ、行ってきました。

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1206年に大内氏第18代・大内満盛(おおうちみつもり)が開基とした瑞雲寺が始まりで、1454年に改称、1551年に謀反(大寧寺(だいねいじ)の変)による兵火で焼失したものを1557年に毛利隆元(もうりたかもと)が、大寧寺の変で自害した大内義隆(おおうちよしたか)の菩提を弔うため現在地に復興しています。

参道にはモミジの木が両側に植えられています。
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秋は紅葉で参道が赤くなりそうです!

参道を進むと左手にある「ザビエル布教の井戸」です。
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1550年にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に布教の許可を得て、この辺りにあった井戸のそばで布教をしたといわれています。(井戸は再現したもの)

参道の正面にある山門です。
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山門から参道を見た様子です。
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山門から進むと右手にある鐘楼堂です。
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さらに参道を進むと右手にある大内義隆辞世の句碑です
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金剛経の経文を引用し「討つ人も討たるる人も諸ともに如露亦(にょろやく)如電応作(にょでんおうさ)如是観(にょぜんかん)」(敵も味方も人の命は露のようにまた稲妻のようにはかない)とよみ45歳で自刃したそうです。

参道の正面に本堂(釈迦堂)が見えます。
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本堂です。
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大内氏の氏寺であった興隆寺(山口市)の釈迦堂を1883年に移築したもので、1479年建築で重要文化財です。本尊は釈迦如来像です。

後編に続きます。

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八坂(やさか)神社 後編

山口市の八坂神社の続きです。

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本殿です。1520年に大内氏第15代当主・大内義興(おおうちよしおき)により再建されたもので重要文化財です。山口大神宮(山口市)内に築かれたもので1868年に現在地に移築しています。本殿の周囲に13個の蟇股があるのが特徴です。

本殿に向かって左手にある祇園稲荷社です。
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祇園稲荷社です。
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祇園稲荷社に向かって左手にある「筝曲組歌発祥之地」の石碑です。
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大内義隆(おおうちよしたか、大内義興の嫡男で第16代当主)は京から迎えた正室を慰めるために、しばしば都の公卿や楽人を招き詩歌管弦の遊びを催します。ある時、7人の若い殿上人が一首ずつ歌を作り、筝で弾き歌いすることが行われ、これが筝の組歌の起源とされています。題字揮毫は佐藤栄作元首相です。

「筝曲組歌発祥之地」石碑の左手にある築山神社です。
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築山神社です。
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本殿に向かって右手にある建物です。
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神輿庫と思われます。毎年7/20~7/27に山口祇園祭が開催され、7/20の御神幸の際に鷺(さぎ)に見立てた頭と羽をつけた人が舞う鷺舞神事(さぎまいしんじ)が行われます。

<八坂神社(やさかじんじゃ)>山口市上竪小路100
JR山口駅から山口市コミュニティバスで八坂神社前バス停下車すぐ、JR上山口駅から徒歩約15分

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八坂(やさか)神社 前編

山口市の八坂神社へ、行ってきました。

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1370年に大内弘世(おおうちひろよ)が京都の祇園社(現・八坂神社(京都市東山区))から勧請したもので、1864年に毛利敬親(もうりたかちか)により現在地に移転しています。

鳥居を入って参道を進むと右手にある灯篭です。
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厚挟郡の清酒亀壽醸造場主岸田昌介が寄進したものです。
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大正から昭和前期に現・長門市にあった酒造場のようですが、詳細は不明です・・。

灯篭の後方にはレトロな洋館が。
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1887年頃に写真館として建てられた疑似風洋館で、所有者を代えながら約120年間写真館として営業していたそうです。(内部は非公開のようです)

参道の右手、灯篭の隣にある手水舎です。
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手水舎から参道が左に折れ、先に社殿が見えます
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拝殿です。
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拝殿にかけられている額です。
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1869年までは祇園社だったようです。(京都の八坂神社は1868年に祇園社から改称)

後編に続きます。

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